ちわ!
日本でも大人気の韓流俳優ヒョンビン。
ヒョンビンが主演の映画「ハルビン」が公開されます!
この映画の主人公アンジュングン
韓国では英雄と讃えられ、現在もアン ジュングンを題材にした演劇や書籍などが発表されています。
また、南山に記念館があるほどの人物です。
一体、どんな人物なのでしょうか?
日本でのアン ジュングンのイメージ
1909年,韓国統監であった伊藤博文を射殺した朝鮮の独立運動家。
同年10月,中国のハルビンをおとずれた伊藤博文を射殺し,翌年,死刑となった。
日本ではこのように教わったという方が多いのではないでしょうか?
ざっくり過ぎますが、伊藤博文を暗殺した犯人というイメージです。
詳しい時代背景と人物像
安重根(あんじゅうこん、アンジュングン)は、日韓協約によって保護国化進むなか、日本に抵抗する義兵闘争に加わって、朝鮮北部で戦っていたけど、日本軍に圧迫され、1909年にロシアの沿海州に逃れ、その地を拠点になおも抵抗を続けていた人。
日本の韓国統監府初代統監だった伊藤博文のハルビン訪問を聞きつけ、1909年10月26日、ハルビン駅で伊藤博文の頭に短銃3発で射殺しました。
その場で逮捕され、裁判に付せられ、1910年3月死刑となる。
現在韓国では抗日闘争の民族英雄として記念館などが建設されているんですよね。
日本は伊藤博文の暗殺を機に、朝鮮の抗日運動を抑えることを口実に、1910年8月22日、韓国併合を行い、朝鮮の日本植民地化としました。
なぜ伊藤博文を暗殺したのか
義兵闘争に加わり、各地で転戦するうちに追われて豆満江を超え、ロシア領の沿海州に逃れ、抵抗を続けていた。
苦しい戦いの中から、日本の朝鮮侵略の元凶が統監の伊藤博文だと考え、仲間と殺害を誓い合った。
そのとき薬指を切り落とし、その血で太極旗に「大韓独立」の4字を書いて誓ったので「断指同盟」と呼んだという…
アン ジュングンはウラジオストックで伊藤博文がハルビンに来ることを知り、ハルビンに行きました。
伊藤の一行が到着し、軍楽隊の演奏する中、出迎えらと握手を交わした。
アン ジュングンは伊藤の顔は新聞で知っていたけど、白い髭を蓄えた小柄な男が伊藤博文だと確信し、整列しているロシア兵をかき分けて進み出て、3発立て続けに発射した。
3弾とも伊藤に命中し、30分後には息を引き取った。アン ジュングンは「大韓国万歳!」と叫び、ロシア兵に取り押さえられた。
アン ジュングンの裁判
後に日本軍に引き渡される。
翌年2月から始まった公判では日本人の裁判官、弁護士で審理され、死刑判決となり、3月26日に執行された。
26日は伊藤の命日で、死刑執行時刻も午前10時という伊藤が絶命した時刻に合わせて執行された。
アン ジュングン記念館
韓国では英雄とされ、南山公園に記念館があります。明洞駅からは徒歩20分ほどかかるので、ケーブルカーに乗って、Nソウルタワーを観光した帰りに立ち寄るのがおすすめです。
記念館はアン ジュングンの生い立ちから生涯を閉じるまでが展示されています。現品ではないものの、忠実に再現されたレプリカで構成されていて、映像やタッチパネルでの展示もあります。
私が訪れた時は、極寒だったためか閑散としていましたが、ゆっくりと見学できました。
入場無料です。
建物はシンプルで、一瞬記念館とは気づかず、素通りしてしまいました。
入り口が外から見えない迷路のようなつくりで、正面の右側のスロープを下ると案内デスクがあります。
コネストさんにも詳しく書いてあるので、確認してみてください。
まとめ
アンジュングンは自国のために、命を捨てて伊藤博文を暗殺しました。
「このままでは日本に侵略されてしまう。」
ですが、伊藤博文は韓国の植民地化に反対していたんですよね。
暗殺事件を起こしてしまったために、日韓併合されてしまった…
なんか、伊藤博文はなぜ殺されてしまったのかと思います。
時代背景を考えるとそう思ってしまうというのもわかるけど…
私が記念館を訪れた時に、韓国の英雄アンジュングンにメッセージを書くエリアがありました。
付箋にハングルでみなさん書いてましたが、そこに日本語で「私は日本人ですが、あなたの勇気ある行動に感動しました。」と書いてある付箋を見つけました。
複雑な気分になりました。